世の中はアベノミクス効果で少しずつ景気も上向いて来ている感がありますが、平成26年4月からの診療報酬改定と8%の消費税導入のことを勘案しますと、利幅が薄く設定されている医療業界はかなりのダメ-ジがあるものと予想されます。しかし、過去3年間にわたる民主党政権時代にはバラマキとも思えるバブルを享受してきたわけですから、そろそろ引き締めをおこなう時期に来ていることも事実です。
私が岡山光南病院院長として医療法人自由会に赴任してから昨年(平成25年)10月で11年が経過し、昨年7月からはこうなんクリニック院長として勤務しています。 しかし、医療法人自由会としては常務理事(最高執行役員)として一貫して運営指揮をとってきましたので過去の変遷の経緯と、自由会はどこに向かおうとしているのかという視点から述べてみたいと思います。
平成14年10月に私は岡山光南病院院長として赴任して来ました。 赴任当時は介護保険が開始されて一年半、「医療と介護の連携」というスローガンがまだ耳に新鮮な時代でした。 医療面においては病院機能の再編成、つまり、「地域包括ケア」の概念の中で自分の病院が急性期、亜急性期・回復期、維持期のどのフェイズを担当するかを明確にして方向性を打ち出さなければ再編成の中で生き残れないことが明確になってきた時代でした。
この頃の岡山光南病院は平成13年4月より全44病床のうち30床は回復期病床、14床は一般病床で医療法上各病床(病棟扱い)がナースステーションを持たなければならず、一つのフロア(44床)に二つの看護チームと二つのナースステーションが同居しているといった非効率極まりない病棟構成になっており、例え満床にしても実質的には大赤字という状態がつづいていました。 そして実際に行っている医療はそれまでの救急を含む一般医療であったため、入院している殆どの患者が社会的入院であり、某理学療法士は「当院にはリハビリの対象になるような患者は一人もいません」と平然といってのける状態でした。
それでも「病院機能評価」を導入し、セラピスト(理学、作業療法士)に対しては「インストラクター」を招聘するなどして徹底した質の向上をはかった甲斐もあって、平成18年には全44床すべてを回復期リハビリ病床に改編することができました。 そして救急指定を返上し、リハビリテーション科をリハビリテーション部に昇格することが出来た頃には当院も岡山では屈指の質をほこるリハビリテーション病院に変身することができました。
しかし、時代はどんどん流れていっています。
平成12年に開始された介護保険は開始後13年を経て完全に定着し、現在では無くてはならない存在になってきています。 しかし、発足当時に掲げられた「医療と介護の連携」というスローガンは出てきてから10年以上が経過していますが、なかなかあまりうまくいっていないなと皆が感じ始めています。
そして、これを提唱した厚生労働省内における「医療と介護の連携」というコンセプトに対する認識も経験を重ねるに伴い次第に現状に沿ったものに変化してきています。 これが提唱された当初における厚生労働省発行の概念図は私の記憶では、在宅において患者を中心に左と右に医療と介護と書かれた二本の柱が立っており、その間を救急車や人が行き来している絵が描かれています(図1)。 しかし、近頃は全く異なった概念図が示されており、まず在宅においては「生活」が基本にあり、その中に患者が居り、介護が全体的にその患者を支えており、医療が主体的に動くのは患者の状態増悪時であり、救急搬送するべきか、そのまま看取り体制にもってゆくかどうかの判断が求められる時くらいであるため、在宅においては相対的に介護に重点が置かれ、医療との間に占める較差はかなり大きいという現実を概念図化しており(図2)、厚生労働省内における認識の深まりが感じられます。 また、関連各職種間での顔の見える関係をつくるためのワールド・カフェがさかんに行われるようになったり、晴れやかネット拡張機能に見られるようなインターネットを通じた各職種間における情報共有は「医療と介護の連携」に向けて少しずつ前進が始まったように感じられます。
もう一つ、「地域包括ケア」という概念をもとに患者を「急性期」→「亜急性期・回復期」→「維持期・在宅」という方向で患者を流す「地域包括ケアモデル」も次第に問題点が明らかになってきています。 つまり、「急性期」→「亜急性期・回復期」→「在宅」という絵にかいたような経過をたどる患者はそれほど多くなく、急性期で入院した患者のかなりの部分は何らかの問題を抱えているため、急性期病院に滞り、そのためベッドがそれらの患者で埋まってしまうため、救急業務に問題が生じるといった悪循環が問題になってきています。
「シームレスな医療連携」を目指すという合言葉のもとに「もも脳ネット」をはじめ全国に同様の連携会議が設立され運用されていますが、非常に熱心な組織から形式的なものまで各組織における温度差は相当なものであり、以前よりは格段に改善してきたという評価はあるものの、相変わらず「継ぎ目」における患者の流れの停滞は2025年までにおこなう病床再編成の大きな問題点になっています。
それを解消するための方策として現在二つの案がまことしやかに囁かれています。 その一つ目が「シームレスな医療連携」のような水平統合は効率が悪いので、医療圏(を数個に分割)毎を特区化して医療機関のM&Aが簡単にできる特別法を制定して「垂直統合」をはかるという案。 つまり、岡山市南区では急性期の2病院と岡山光南病院などの中小病院をM&Aにより一つの医療複合体に編成して急性期→亜急性期を一括管理する案です。
二つ目は現在急性期病院でおこなわれているDPCの調整係数をはずす時期と関係してきますが、これをおこなうと300床以上の病院でも経営困難な病院がかなり出ると予想されています。 しかし、300床以上の病院がつぶれると地域医療が受けるダメージは測り知れないと行政側は考えています。 そこで考え出されたのが、急性期→亜急性期・回復期への患者の流れの停滞が起こるのだったら救急をやっている病院の中に亜急性期・回復期病床を病床単位ではなく病棟単位で認めれば患者は院内で動くので患者の流れの停滞は起こらず、一気に維持期・在宅へもって行けるというわけで、この議論はすでに活字媒体に載っており、早ければ平成26年度の診療報酬改定にのってくるのではないかと思われます。 倉敷のように救急をやっている大病院は二病院だけという整理統合ができている状態ならともかく、岡山のような500床程度の病院が乱立し、これからサバイバルゲームが始まろうとしている地域のDPC病院から見るとまことに魅力的な改定に映るのではないかと思われます。 このことは従来の「急性期」→「亜急性期・回復期」→「維持期・在宅」といった地域連携モデルだけでなく、「急性期・亜急性期・回復期」→「維持期・在宅」モデルも並立してくる可能性が高く、その時は、300床未満の病院は在宅支援病院にまわるよう求められる可能性も考慮しなければならないと感じていますが、これも時代の流れでしょうか?
これらの事柄は年始の初夢(悪夢?)くらいで済めばありがたいのですが、残念ながら現実化する可能性が少しずつ増加してきています。 自由会のような小さな組織は時代の大波をまともに喰らうとひとたまりもなく転覆、沈没してしまいますので、航路を変えて島影に避難するか、体力をつけてサバイバル競争を乗り切るかの判断をせまられる時が必ず来ると確信しています。 その時もっとも頼りになるのが職員各個人の能力と自分の所属する組織への愛情です。 自由会は「その時」に備えてより透明性のある強固な組織に変革してゆくつもりですので、皆さんも精進のほどよろしくお願いします。
平成26年1月 こうなんクリニック 西崎進
(図1) 医療・介護サービス保障の強化 (PDFファイル・874KB)
(図2) 地域包括ケアシステム (PDFファイル・608KB)